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下市町下市の氏神として今在家に鎮座されている。当社は応永2年9月吉野郡桧垣本の八幡神社より分霊、当町字宮ヶ峯に奉斎し、享禄4年9月に現在地に遷座したものである。〔八幡神社〕と刻んだ扁額のかかげられた明神鳥居〔石造〕をくぐり百余段の石段を登ると社務所・遥拝所のある広庭に達する。更に登ること五十余段で拝殿に着く。本殿は流造・檜皮葺で、祭神は応神天皇である。現在の建物は昭和21年10月の建造である。なお、昭和25年8月下市郵便局庁舎新築工事の際神社入り口を現在地に変更されている。現況は車道になり階段は一部撤去されている。 |
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下市字堀毛に鎮座されている。下市八幡神社と同大字下市の氏神である。俗に降剣(ふりけん)神社と称しフリケンサン とよばれている。 |
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下市字本町に鎮座せられ地元本町の管理経営に当たる神社である。由緒沿革については詳でない、社名を蛭子神社と称するこ とに就いては確証があるが祭神は『内務省神社明細帳』には蛭子命と明記されている。同社は戒社の総本社である西宮神社〔西宮市〕より分霊を受け当地に勧請鎮座せられたと考えられ俗称戒社とはこの蛭子命である。毎年2月11・12日商業の神として例大祭を実施し路天商が軒を連ね近郷近在から多くの参拝者を迎 え下市町の祭りとして盛大を極め大変な賑わいを呈している。 |
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下市字小々里〔天神町とも称す〕に鎮座する。 |
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下市字惣上に鎮座され惣上町の管理経営に当たるお社である。京都嵯峨愛宕山上の愛宕神社の御分霊を奉祀し、祭神は迦但槌神で防火鎮火の神として霊験あらたかである。本殿に〔慶応元乙丑星林鐘吉辰奉再建愛宕大権現町内安全守護所社僧法主恵照謹白〕と記された御神札が奉祀され ている。 |
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下市字上阪の竜泉寺に隣接し東側の山腹に鎮座している。上阪町の管理経営に当たる社である。祭神は金山彦命を主祭神として奉祀する。由緒沿革は不詳である。創建は江戸末期。 |
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旧阿知賀小学校の南「勝賀宮」の扁額のある明神鳥居(石造)をくぐり坂道の参道を登ると、拝殿に達する。広大な森林と老 樹は真に森厳そのものである、阿知賀中村に鎮座す。俗に大宮さんとも称し阿知賀の総氏神として奉祀し尊崇されている。祭神は応神天皇である。 |
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阿知賀字西中村 阿知賀街道より岡垣内に通ずる道路の南西角に鎮座している。「クズカミサン」と称している。祭神は不詳であるが当区の開祖を奉祀したものとも、またある年の大洪水に吉野川上流の国樔村より漂着し、これを奉祀したものと伝えられている。現代吉野町国樔字南大野の下垣内の山腹に鎮座されている穂国栖神社(祭神石押別命)がある年の大山崩れの際濁流に流失したと、同地の古老の言い伝えがあるようである。 |
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阿知賀岡垣内 国栖神社の南方の眺望の極めて好い丘陵地に鎮座されている小社である。俗に「チンヂンサン」と呼んでいる。昔は阿知賀の八幡神社の近くに鎮座されていたが、岡垣内の発展につれて現地に移遷されたものと伝えられている。祭神は不詳である。社前左側に寛政二年十二月吉日施主次良兵衛の石燈籠一基がある。おそらくこの時代に建立されたものであろう。社叢の中に多数の石仏や石塔類が埋没または一部露出するが室町末 期から江戸時代のものが多い。 |
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阿知賀字中屋垣内に鎮座されている。祭神は「豊受稲荷明神」と伝えられる。由緒沿革は不詳。鎌倉時代の末期嘉暦の頃鎮座 されたと伝えられているが確証はない。本殿に向かって右に椋と榎の老樹がある。樹齢数百年を重ねた珍しい巨木である。 |
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下市町田中・興大寺境内に鎮座する。田中町の管理、経営する神社である。祭神は菅原道真である。興大寺修復当時の本堂の屋根の鬼瓦に文政12(1830)年の刻字がある。当時の寄付台帳に天神尊像1体を桶屋茂兵衛の内室が寄付とある。したがって(1830~1845)年頃と推測される。天満宮建立については当時の田中町の若衆連中の力が大きかったと思われる。また町内の古老の話しでは、天神町の天神さまの分霊をいただいて現在地に遷座したとも言われ、大正から昭和にかけての時期に何かがあったのかもしれない。毎年7月25日に地元住民が協力して地域の夏祭りとして盛大に祭 典を実施して多くの参拝者で賑わっている。昨今の高齢化に伴い毎年7月の日曜日に変更して田中町会館において祭典を行っている。 |
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阿知賀桧皮蔵町・日光寺の境内に鎮座する。 |
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昭和25年4月・日本ではじめて箸をご神体とする「須佐之男命(すさのおのみこと)=箸の神=」・「大山津見神(おおやまつみのかみ)=山の神=」・「久々能智神(くぐぬちのかみ)=材木の神=」の、三柱が合祀される箸神社を下市町栄町に、大和下市製箸商工業協同組合・下市製箸組合が中心になり建立。昭和62年10月に下市八幡神社境内に移転、毎年4月22日に例祭を実施していたが現在は「箸の日」の8月4日に吉野杉箸商工業(協)と下市製箸(協)が共催して例大祭が行われている。地元下市町や吉野町、五條市の箸関係者が参拝して賑わう。詳しくは本田総一郎著作『箸の本』 東京都(株)柴田書店発行を参照して下さい。 |
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阿知賀字野々熊 下市町の最東端に位置する野々熊に鎮座する。元の野々熊村の氏神であり往時より単に「チンジュサン」と 称するのみで社名も正式なものなく、祭神も不詳である。拝殿に新しい額ではあるが「八幡宮」とかかげられたものがある。境内に鳥居・狛犬・燈籠が設けられているが、何れも明治以降のものである。 |
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阿知賀より小路に至る道路の東側山腹に鎮座している。祭神は菅原道真で小路の氏神として尊崇されている。南北朝時代「正平元年七月」に創設されたといわれている。現在本殿と拝殿との間の渡り廊下に「天満宮」と書かれた木額が掲げられていてその裏面に寛保三年九月吉日と刻さ れている。 |
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新住字宮の森 新住の西側山手道路より急坂を登った森の中に鎮座する古社である。参道一の鳥居より北面を見わたすと眼下に吉野川をへだて大淀町の町並みや高取の連峰を遠望することが出来る。祭神は仁徳天皇である。境内には拝殿・倉庫・手水舎・遥拝所・石燈籠・狛犬・鳥居等がある。 |
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善城字宮辻 県道の東側直ちに石段を登ること二百数十段で社前に達する、祭神は応神天皇である。社伝によれば貞観四年善 城山頂字宮辻に奉斎したと伝えられている。天保十五年九月二十四日鳥居燈籠破損により建替え鳥居は高さ八尺であったが現存しない。 |
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下市町の西南に聳える栃原岳標高五百十七メートル「俗にダケサンと称する」に鎮座されている。当社は天平2年11月11 日の創建。水波能売神・応神天皇を奉祀する式内社であり、もとの栃原村の氏神である。 |
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平原字宮坂 平原竜王辻の西部に鎮座されている。簡易水道の浄水場横から約150段の石段を登ると社前に至る。現在の本殿は春日造りで社は江戸末期のものである。祭神は事解男命である。往古紀伊国牟婁郡有馬村に鎮座されている速玉神社の祭神を天長3年丙午年2月に分祀し遷座した。当社はもと平原・唐戸両村の氏神として奉祀されていたが現在は平原のみの氏神として当屋によりお守りしている。 |
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梨子堂字宮山 梨子堂の氏神で宮山に鎮座されている。祭神は応神天皇である。 |
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原谷字花山 原谷を流れる杣谷川の南側山腹、花山に鎮座されている。祭神は応神天皇である。当原谷は往古より栃原の波比 売神社の氏子であったが土地遠隔な為同社の分霊を移祀したものである |
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栃本口より坂道を登る高峯に鎮座されている。祭神は龍神である。栃本の氏神で栃本はもと丹生・長谷・谷・の三村と共に、丹生川上神社(下社)の祭祀に預かっていたもので延宝7年検地帳表書に「大和国吉野郡丹生郷栃本村」とある。境内の稲荷神社も同様に分社の節に奉祀された ことが記されている。 |
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伃邑字津越 才谷に至る県道に平行して流れる秋野川に架かる岩本橋を渡ると左側の丘陵地に西南に面して鎮座している。伃邑の産土神にして、祭神は誉田別命を祭る。土俗に弁財天というも確証はなく、これはもと稲貝に鎮座していたものを現在地にお祀りしたと伝えられ、これが現 今の末社になっているのではなかろうか。当社の由緒、沿革は不詳であるが、『吉野郡資料』には貞享元年九月の創祀と記されている。 |
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岩森の正福寺裏山の山頂に鎮座している。 |
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伃邑字岩森の三差路より広橋峠の方へ登ると右に大きくカーブの北側に西面して鎮座している。岩森の産土神で祭神は天照大神である。境内に神門・狛犬一対・石燈籠一対・石鳥居一基などがある。 |
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伃邑字草谷 草谷から高原へ登った道路の上手、通称ヒノキ尾に鎮座している。 |
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伃邑字高原の産土神で集落を見下ろす好位置に鎮座している。神社も小字の氏神としては立派で石段が二段に築かれ一段目の両側に狛犬、二段目の石垣の上に塀をめぐらし、その中に高さ約二メートルの春日造りの神殿が建っている。 |
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伃邑字稲貝 稲貝から間戸に下る道の右側に鎮座している。祭神は、市杵島姫で詳細は不詳であるが、天河弁財天社から分霊 したものといわれる。約二百年前に遍路さんから預かった包みを何年たっても取りにこないので開いてみると、中に弁天さんのご神体があったことから同地に祠 を建ててお祭りしたという。 |
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立石字キタチ 上立石バス停より小道を西に登り山頂に至る神域に北西に面して鎮座している。立石の産土神である。祭神 は、もと下立石宮の垣内にあった八大竜王と上立石字石神にあった石神さんの二社をいつの頃か合祀したものと伝えられている。本殿に向かって右が八大竜王、左が石神と土俗は称している。『神社記』によると天保三年六月の調査に当社の祭神は雨の神として祀られる氏神で、竜王宮社と名づけられ、その後石神社を合祀して海神社と名づけられ今日に及んでいる由である。社前右側に稲荷神社が合祀されている。 |
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才谷字千原平 才谷の西照寺前から秋野川に架かるコンクリート橋を渡り山手左側の階段を二百数十段登ると西北に面して鎮座している。祭神は春日明神である。才谷の産土神で、もとは現位置よりさらに奥の宮山に在したが参拝の便をはかるため大正初めに現在地に遷座したものである。 |
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才谷字シロド(通称タノミネ) 旧才谷小学校南側山頂の高所に北東に面して鎮座している。小社で境内に見事な老桜があり、祭神は宇迦之御魂神である。由緒、沿革は不詳であるが、現社殿は明治十五年の修理にかかるものである。木造鳥居二基・石造狐一対がある。 |
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広橋字中村宮山 瀬谷川の朱塗りの神橋を渡り山路を登ると社頭に達する。巨大な老杉に囲まれた神域はまことに由緒の深き を思わせ、社殿は西に面して建てられている。祭神は応神天皇・竹内宿弥・神巧皇后を奉斎し、広橋の産土神として崇敬されている。当広橋区は文久三年九月に 天誅組の災禍を蒙り、多くの文献が焼失したため由緒を記す明白なものはないが桓武天皇延暦の創祀と伝えられている。 |
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広橋字中村宮山 広橋八幡神社から川を隔てて西側「観音寺」丘陵地の老桜の下に南に面して鎮座している。祭神は宇迦之御魂神であり、広橋の稲荷さんとして土俗の信仰が厚い。朱塗りの明神鳥居一基が立つ。いつの頃からか、八幡神社境内左側に移転され合祀されて鎮座している。 |
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当社は闇龗神(くらおかみのかみ)を祀り雨師明神とも称せられ、何れも水神にして水の信仰が厚い。近傍から石器・弥生式 土器・須恵器・鉄刀などの遺物を発見したといわれ、この社地は古代の祭祀の遺跡地と考えられる。丹生川に臨む台地に鎮座し、古来より丹生大明神と称して崇敬され、現に丹生川上神社「上社・中社・下社」の一つである。当社の所在については白井宗因の『神社啓豪』や『神社便覧』などに「下市へ傍山中」に在ると 記されたものが多く、寛文年間にかくのごとく知られていたのである。当社への参道をみるに一の鳥居は大淀町今木に、二の鳥居は下市町善城に、三の鳥居は旧 秋野村広橋にそれぞれあったという。善城には今なおその礎石を遺し、広橋では道路改良に際し取り除かれた。明治四年十二月に官幣大社に列せられた。 |
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丹生字後台 社地は後台橋を渡るとすぐ右側に神社に通ずる山道があり、登ること約三百五十メートル上方の台地を切り開いた所に荘厳な宮居がある。 |
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長谷字藤谷 社殿は安政六年二月に再建され、続いて明治二十三年四月に改築されている。当社は県道に沿う長谷川のほとり に鎮座し当区の産土神として崇敬が厚く、祭神は応神天皇である。境内には鳥居一基・石燈籠二基が建てられている。 |
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長谷字的場 当社はもと八幡神社境内に祀られていたが明治二十三年四月に稲荷神社と共に改築され、大正十年に現在地に遷座された。当社地は丹生川上神社下社の後方に当たり、丹生川、長谷区・谷区の一部を望み得る景勝の台地に鎮座している。祭神は市杵島姫神を祀り、稲荷神社が合祀されている。 |
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谷字ヒシリ平 当社は法谷寺の真上約四百メートルの高地にあり、眼下に丹生川が奔流し南西に櫃ヶ岳の雄姿が望める景勝の地に鎮座する。祭神は応神天皇を祀る。境内には木造鳥居三基が立っている。境内社の稲荷神社は猿田彦命を祀り由来はつまびらかでないが当区農桑の神として古くから崇敬されている。 |
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西山字日裏 当社は県道黒滝五條線の沿線、数十段の石段を登ったところに社地があり、まことに荘厳な宮居である。祭神は応神天皇で由緒沿革は不詳である。鳥居一基は石段の登り口に建てられている。また境内に天照社(天照大神)も祀られている。 |
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西山字高倉 当社は奈良屋坂を昇り詰めた高丘で麓には丹生川の清流、南方は櫃ヶ岳をはじめ貝原区を一望できる景勝の地に鎮座している。祭神は宇迦之御魂を祀り、農桑の神として当時から氏子の崇敬が厚い。 |
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西山字上西山垣内 当社はカミノカイトの谷を隔てた台地に鎮座し、祭神は金毘羅権現を祀る。明治の中頃讃岐の金毘羅宮の分霊を迎えてこの地に奉斎したといわれている。神殿は小祠であるが氏子の崇敬は厚い。 |
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社地の櫃ヶ岳は海抜七百八十二メートルの高山で四方の景観にすぐれ下方に丹生川の清流が眺められる。西北には金剛・葛城 山が一望でき、東南は大天井岳を見通せる壮大な景勝の地である。祭神は応神天皇を祀るが、由緒沿革は不詳である。伝えるところによると山城の八幡に鎮座す る石清水八幡宮の分霊を迎えて祀ったもので、櫃ヶ岳大明神と称して大へん崇敬が厚かった。元禄十二年頃頂上に雲仙寺を建て神仏混合の霊場として信仰を集めていた。黒木の玉泉寺に吊るされている梵鐘はもと雲仙寺の鐘である。 |
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貝原字深戸 当社は櫃ヶ岳の八幡神社から約千五百メートル下方に鎮座。当社地は老松に囲まれている。祭神は応神天皇を祀るが、由緒沿革は不詳である。 |
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櫃ヶ岳の八幡神社の約三百メートル下方に鎮座している。竜王をお祀りし石を神体としている。由緒・沿革は不詳であるが、古くから旱魃の年には当社に祈願して雨乞いをし、慈雨至れば氏子は歓喜して臨時祭りを執り行い謝恩を感謝した。 |
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貝原字中谷 当社は五穀の神として古くから崇敬され、祭神は宇迦之御魂を祭る。由緒沿革は不詳である。社殿は町道の左山側に鎮座する。朱塗りの鳥居をくぐって(現在は鳥居がない)約二十段の石段を登ったところに建てられている。 |
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当社はもと丹生村の役場のあった少し上方に鎮座し、祭神は応神天皇である。由緒沿革は不詳である。 |
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黒木字ハビ塚 当区八幡神社から貝原区の櫃ヶ岳に登る途中に鎮座している。祭神は市杵島姫神を祀る。由緒沿革は不詳である。社殿は小祠で白木の流造りで屋根は桧皮葺である。 |