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お寺・神社めぐり

HOME > 観光ガイド > お寺・神社めぐり > 下市町寺院一覧表

下市町寺院一覧表

1 至心山 願行寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町下市(寺内)
○本 尊   阿弥陀如来立像 「慶長(1596~1616)年間の作」
○創 立 
応仁2年(1468)10月本願寺蓮如上人、高野山より当地に来錫せられ、秋野川の道場を吉野の要地伝道の本拠として取り立て願行寺を開基し、明応2年 (1493)年には、江州木綿織寺より勝恵法師が蓮如上人に帰属するにおよび、上人の十八女妙勝を配して勝林坊の号を授けた。これが本寺連枝の始めであ る。建造物は、本堂、蓮如堂、経堂、大手門、鐘楼、玄関門、大中書院、客殿、庫裏等、すべて文化財として管理されている。なお大書院の庭園、永禄10年 (1567)銘記の梵鐘等の拝観は、事前の許可が必要である。
その他の宝物は、ホームページ『下市町の文化財』を参照。

2 藤谷山 雪坊 瀧上寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町善城
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当時の開基法光房聖空大徳は、寺宝として重要な「八高僧御影」にすべてが語られている。これには善導大師、源空聖人、親鸞聖人、性信上人、釈願性、釈善 明、釈愚咄、釈聖空が上から左右交互に描かれた絵系図である。これに関して本願寺覚如上人の長男存覚上人の『袖日記』の中に此の影像のことが記されてお り、「聖空大徳真影、延文元(1356)歳丙申五月二日往生」とあることから14世紀前半には秋野川門徒と称された念仏集団の在ったことが窺われる。また 当寺には観無量寿経九品来迎図3幅、六字名号曼荼羅1幅等、真宗初期の絵画が所蔵されていて(以上の文化財は奈良国立博物館に寄託されている)、初期真宗 の実像を窺わせる古刹である。ホームページ『下市町の文化財』を参照。現在の建造物は元禄13(1699)年から弘化4(1847)年に再建されたもので ある。

3 恵日山 東坊 立興寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町下市(惣上)
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
親鸞聖人の直弟子唯円房が草創した寺院で、『慕帰絵詞』に、「正応元(1288)年冬、常陸河和田の唯円上京、本願寺覚如上人、唯円に法義を学ぶ。」 と、あることからその年代の創立と思われる。このように開基唯円大徳は有名な『歎異抄』の作者であって、親鸞聖人の御教えを正しく後世に伝えられたお方で ある。その後の事跡は、享保19(1734)年の当寺『明細帳』によれば、慶長16(1611)年の火災、更に元禄元(1688)年の火災により堂宇全焼 したと記されてある。現存の本堂は焼失後に再建されたもので、享保、明治、昭和、更に平成になって大修復を行う。先の記録には、「文明年間に本願寺蓮如上 人より寺号及び親鸞聖人の画像(裏書文明7(1475)年)を下付された。」とある。詳細はホームページ『下市町の文化財』を参照。

4 法守山 本誓寺 西迎院 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町下市(山崎)
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
当寺の開創は応永4(1397)年である。開基は了誉聖冏上人であり、吉野地方における浄土念仏の根本道場として建立される。建造物としては、本堂、文 化6(1809)年、鐘楼、寛延2(1749)年、山門、安永8(1779)年の建立で、その後大きく修理している。庫裏は成徳2(1712)年、客殿は 江戸時代初期の建造であったが荒廃のため、平成15(2003)年に新築する。
寺宝 阿弥陀如来画像,三尊来迎仏画像、当麻曼荼羅画像。

5 法栄山 興大寺 曹洞宗

○住 所  吉野郡下市町下市(田中)
○本 尊   釈迦牟尼如来立像  「宝永(1704~1711)年中に、大和郡山城主柳沢権太夫里恭公より当寺へ拝領したもの。」
○創 立 
貞享3(1687)年頃、開基は義仙老師。文政(1818~1830)年中に雲洞和尚、堂宇伽藍、山門、鐘楼の大修理を行う。寺宝『大般若理趣分』貞享 2(1685)年正月、慈海宋順師の校合。

6 宝蔵山 西来寺 黄璧宗

○住 所  吉野郡下市町下市(山崎)
○本 尊   如意輪観世音菩薩
○創 立 
元文(1736~1741)年間、農民一揆で有名な端嶺和尚の住んでいた寺である。開基は隠元禅師の高弟、木庵禅師の弟子、蘭州宗喜和尚であり、寛文 (1661~1673)年間に禅宗として開山した。端嶺和尚(俗姓柿村新左衛門)は当山第三代の住持にして、約三百年前、高嶋宗八氏と共に一揆を起こし、 吉野の義民として尊崇された。境内にその碑あり。建造物は昭和年間のもの。西来寺の扁額は、隠元禅師の書である。ホームページ『下市町の文化財』を参照。

7 衆福山 本禅院 真言宗

○住 所  吉野郡下市町下市(都町)
○本 尊   聖観世音菩薩
○創 立 
年次不詳。秋野川白藤の滝の上層山腹にあり、通称「滝の上の観音」という。境内に南朝に忠勤した宗因翁の墓石あり。現在の建造物は、明治年間に大修復を 行う梵鐘、宝暦4(1755)年8月25日鋳造。

8 紫雲山 龍泉寺 真言宗

○住 所  吉野郡下市町下市(上阪)
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
開基等詳細については、明治の末の火災により焼失。現存の建物は大正年間に再建されたものである。昔より七龍泉寺の一つとして知られ、栄町にある大聖 寺、堀毛(寺号不明)の寺を末寺とし、後水尾天皇親筆の「徳不孤」の勅額を蔵している。尚本堂の隅に代々住持の石碑が有り古いものは三・四百年前のもの で、新しいものでも文久年間のものである。現代は地元住民の会館として使用している。

9 蔵六庵 大聖寺 曹洞宗

○住 所  吉野郡下市町下市(栄町)
○本 尊   十一面観音菩薩立像
○創 立 
元曹洞宗に属していた。徳川中期の創立で境内にある寛保4(1744)年に建てられた一字一石の書写塔と同時代の創立と推定されている。昭和の初め、釈 願成という禅僧が入寺し大聖寺と称し曹洞宗に属していた。本尊の厨子に「和州吉野郡官上部郷四村之内岩森住、亀屋富永源兵衛妻,嘉津、寄付于蔵六庵」とあ り、年号はない。現在は地元住民の集会所として利用している。

10 善城山 弘命寺 真言宗

○住 所  吉野郡下市町善城
○本 尊   弘法大師坐像
○創 立 
明治3(1870)年3月、当地の栄山イトなる人、弘法大師の尊像を背負い来たり、当地に仮堂を建て奉安した。大正6(1918)年、現代の太師堂と庫 裏を建立し、善城のお大師さん、と称されていた。昭和22年(1947)年より弘命寺を公称し、真言宗醍醐派に属する。

11 神光山 宮前寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町新住
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
藤谷山七世教空三男教円、永享12(1440)年2月、新住村に道場を創設し吉野郡西北部の門徒を教化する。時に長禄3(1459)年本願寺八世蓮如上 人、当地に遊化されるや宮前寺の寺号を賜る。明応4(1495)年開基教円は、蓮如上人願行寺を建立されるにおよんで、瀧上寺淨空、越部、弘願寺教俊と共 に「吉野三僧」と称し、真宗念仏の興隆に寄与した。寺宝、文亀3(1503)年、本願寺実如上人裏書、方便方身尊像、宗祖親鸞聖人木像(『大和下市町史』 には、開基教円坐像とある。)室町時代。

12 行住山 専念寺 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町新住
○本 尊    阿弥陀如来坐像  「藤原末期800年前のものと伝えられる」
○創 立 
応永4(1397)年(京都金閣寺創立年次)。開基了誉聖冏上人、当寺を清淨院と号す。寛永11(1634)年4月2日、知恩院末に編入。本堂等の建造 物は嘉永5(1852)年に再建された。寺宝 観音・勢至菩薩像。釈迦?槃画像。

13 西方寺 薬師堂 真言宗

○住 所  吉野郡下市町新住
○本 尊   薬師如来坐像
○創 立 
年次不明、御堂は寄棟瓦葺、天保12(1841)年正月の建立。本尊薬師如来(木造)は室町時代の作。

14 医王山 日光寺 真言宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀
○本 尊   薬師如来坐像
○創 立 
寺伝によれば朱鳥元(686)年、角乗上人により薬師如来を本尊として当寺を建立したという。なお、明治2(1869)年、廃寺となっていた下市村秋津 城址下に所在していた寂静寺を合併する。当時の建造物については、宝暦5(1755)年に本堂再建、文政年中に大破し修理をするが、その修理が適切でな かった為、平成10年前後に本堂、山門、庫裏その他境内の一切の建造物を新築する。寺宝 薬師如来坐像、永承6(1052)年3月奉修仁玄。ホームページ 『下市町の文化財』を参照。阿弥陀如来坐像(室町時代)、元寂静寺本尊。

15 一道山 実原寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀(原野)
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
年代等については不詳、創建当時の堂宇は殆ど頽廃したので、安永4(1775)年9月、再建を申請、翌年本堂完成、平成10年大修復、山門、庫裏等は本 堂に続いて創建、明治・昭和年間に建て替えている。寺宝 聖徳太子立像 元阿知賀、聖徳山西方寺の什物、慶応年間に廃寺となり、当時に奉安された。

16 梅元山 浄徳寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町小路
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
文明16(1484)年、開基善南(俗性、御領荘荘司右衛門佐正善)は淨徳庵と名づけて念仏道場を創設。元禄7(1694)年、この淨徳庵を改築して、 本堂を造営し同年8月20日,淨徳寺と公称した。淨徳寺の本堂には、今も内陣と外陣の間に、内縁のあった跡が見られ、小規模な庵を除除に拡張していった形 跡が見られる。明和元(1764)年、山門を創建する。

17 老柏山 明照寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は元禄4(1691)年の創設。大和源氏宇野七郎親治の後裔、中前休西法師の開基と伝えられる。明治12(1879)年、住職中野真静師は寺地を移 し古堂を購入し拡大して、五ヵ年かけて本堂・庫裏・山門等を建立した。

18 知久山 長福寺 龍洞院 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀(岨)
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
建長2(1250)年蓮求大徳の創建。瀬之上の光明寺、中屋垣内の放光院、岡垣内の宝蔵院の三末寺をも設立。その後建武の兵乱により諸堂宇を焼失。現存 の本堂、庫裏、山門等は天保3(1832)年、載誉住持の再建によるものである。国の重要文化財 本尊の阿弥陀如来坐像は檜寄木造りで藤原様末期のものと 推定され、春阿弥の作という。ホームページ『下市町の文化財』参照。寺宝 釈迦如来立像、鎌倉中期頃の安阿弥の作か。

19 宝珠山 地蔵院 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
山号・院号の由来は、堂内に宝珠を捧持した子安地蔵を安置していたことから名づけられたものである。現在の本尊は、安政5(1858)年8月に五条市野 原観音寺より交換奉迎したものである。現代の本堂、山門は嘉永(1848~1854)年間に再建されたものである。

20 峯堂寺 宝蔵院 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀(岡)
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
本尊の銘によれば、元禄6(1693)年4月15日元誉法師によって再興されたとある。寺宝 阿弥陀如来坐像(当院は現代、民家として使用され参詣拝観 はできない。)

21 放光院 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀(中屋)
○本 尊   阿弥陀如来坐像
○創 立 
下市町阿知賀岨の龍洞院の項に、「瀬之上の光明寺、中屋垣内の放光院、岡垣内の宝蔵寺の三末寺をも設立」とある。現代、堂宇は地元住民の会館として使用している。

22 光明寺 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町阿知賀(瀬之上)
○本 尊   観音菩薩坐像  「本尊の観音菩薩坐像は室町時代の作」
○創 立 
下市町阿知賀岨の龍洞院の項に「瀬之上の光明寺、中屋垣内の放光院、岡垣内の宝蔵院の三末寺をも設立」とある。寺宝 江戸時代に作られた観音菩薩坐像・ 阿弥陀如来立像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像・弘法太師坐像と当麻曼荼羅縮図(室町時代初め頃の作と伝えられている。ホームページ『下市町の文化財』を参 照。)旧堂宇は平成16年に地元住民の会館として建て替える。

23 大塔山 光円寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町栃原
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
宇野氏の末裔が当地に来たりて念仏の道場を草創すると伝承されている。また南北朝の初め、大塔宮護良親王、たまたま当山に潜居したことにより大塔山の山 号は大塔家の垣内名を称することになったという謂れあり。しかして、文化7年と10年の二度の火災により、重要宝物悉く焼失する。現在の堂宇は、十七世住 職了瑞が文化年間に再建し、平成の初め、大修復を加えたものである。庫裏はその時に立て替えたものである。寺宝 開基聖空の画像は、絶筆の称あって智仁勇 の相、自らその中に現れているという。梵鐘は、栃原嶽にあった金山寺の什物を移したもので、文化8年、禁裏御鋳物師、等の銘により、戦時供出を免れ現存している。

24 真性山 極楽寺 浄土宗

○住 所  吉野郡下市町栃原
○本 尊    阿弥陀如来立像 「元栃原嶽の金山寺の奉安物、明治維新の際、当寺に移管」
○創 立 
応仁年中、性誉上人、栃原城ノ谷に草庵を結び、専修念仏を弘通した。文明2(1470)年、千桐屋作某という人、自地を献じ、堂宇を建立して、極楽寺と 称した。元禄13(1700)年、堂宇の造営整備を計り、更に享和元(1801)年の暴風雨の為、大破せしによって、寺檀力を合わせて再建に従事した。現 代の建造物は、明治年間と平成年中に修復を加えている。

25 浄恵山 浄教寺 真宗大谷派

○住 所  吉野郡下市町栃原
○本 尊   阿弥陀如来立像 「延享5(1748)年2月15日、常如法主の印あり」
○創 立 
延宝4(1676)年8月、中村玉治右衛門、善城 藤谷山の門徒十数戸を分離して一寺を創設し大谷派となす。天和元(1681)年見真大師画像、一如法 主より下付。宝暦元(1751)年3月喚鐘、善城村薬屋弥衛門寄進する。

26 平原山 瑞輪寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町平原
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
往古は真言宗高野山花打院の末寺で、平原山平等院と号し、天長3(825)年2月15日創立。その後天正6(1578)年11月、堀小次郎持吉という 者、筒井順慶と戦い敗れ、その息男は本願寺顕如上人に帰依し、西蓮と賜り、当寺を念仏の道場として西蓮寺と公称した。更に元和8(1622)年10月13 日、西円住持、本寺を再興。延享元(1744)年2月19日、藤谷山淨順法師の援助により瑞輪寺と改称し、寺観を大きくして念仏を弘通せしめた。

27 桜華山 円正寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町梨子堂
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は藤谷山淨尊法師の草創によるもので、御領郷梨子堂惣道場としていたが、万治2(1659)年12月24日、良如宗主より木仏許可。延宝 2(1674)年7月晦日付で、円正寺と寺号を公称する。桜華山という山号の由来は、本堂創建時に一枝垂桜の苗を植えたものが、寺号公称に当たり若桜に成 長していたので、山号としたと伝えられている。創立当初の堂宇には、天保・明治・大正・昭和・平成年間に、夫々建物の修復を施している。

28 有伏山 正源寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町原谷
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は、藤谷山淨尊法師の草創によるもので、万治2(1659)年12月24日、正源寺と公称する。創建当初の堂宇には明治28(1895)年に本堂を 再建し、庫裏は最近に建て替えされたものである。山門、鐘楼を含めて、門信徒、中でも中家氏の貢献に依るところが大きい。

29 天王山 西福寺 浄土真宗

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○住 所  吉野郡下市町原谷
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当山開基は、杣谷村滝ヶ平の城主善城四郎雲信なる者、本願寺三世覚如上人上足の弟子、乗専大徳の教化をうけ、弟子となり専信と法名を賜り、字天王の別荘 を以って念仏の道場とした(天王という地名は、後醍醐天皇、吉野より賀名生に潜幸したもう際、此の地で休憩したもう由来に依る)。時に元弘元(1331) 年6月5日である。その後、明暦3(1657)年8月、火災の為、堂宇仏像書類等、悉く焼失。寛文元(1661)年に寺地を現在の堂坂に改めて、本堂・庫 裏・山門・鐘楼等を再建した。当山は、開基専信法師の縁故により、陰地村円光寺と縁類寺院であり、中古より真宗出雲路派毫摂寺末であったが、寛文元年の再 建より本願寺末寺となり、西福寺と寺号を公称した。而して昭和29(1954)年4月、再度不慮の災禍に罹り堂宇悉く全焼する。その後、宗檜村大峯淨満寺 の堂宇を購入し、昭和32(1957)年4月、本堂・庫裏・鐘楼を再建、その後山門・内陣の荘厳等を復興した。

30 桜花山 永全寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町栃本
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は草創及び開基については不詳であるが、最初は真宗興正派末寺、京都市性応寺の看坊として栃本念仏惣道場として発足したものである。元和元 (1615)年12月本願寺派に転属、万治2(1659)年、本願寺良如上人より永全寺の寺号を賜り公称する。建造物の年代不詳。天誅組騒動の時、当山本 堂に槍傷をのこしているという。

31 天八山 正福寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町伃邑(岩森)
○本 尊    阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は文禄4年(1595)年、藤谷山浄久法師の草創にして、享保14(1729)年3月、本願寺寂如上人から寺号、尊像の銘文を賜り、正福寺と公称し た。その後本堂・庫裏等荒廃し、明治28(1895)年、本堂を再建、鐘楼は大正14(1925)年に新築。庫裏は昭和7(1932)年に改修し、同26 年には境内の寺観を一新せしめた。

32 瑠璃光山 大乗寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町伃邑(草谷)
○本 尊    阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は高取城主植村勝之丞が南都西大寺において出家得度し、大乗坊と称し修学し、文禄4(1595)年に当地に来たり、藤谷山淨久法師の教化を受け、当 山を念仏道場として一寺を創設した。その後、寛文11(1671)年7月、本願寺寂如上人から寺号・尊像の銘文を賜り、大乗寺と公称した。現在の堂宇は建 設年次不詳であるが、本堂の彩色は安政4(1857)年に成したものである。尚、庫裏は老朽化したので、平成14(2002)年に新築した。境外に薬師堂 あり、伃邑区自治会によって管理されている。薬師如来坐像については、ホームページ『下市町の文化財』を参照。

33 守宮谷山 高原寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町伃邑(高原)
○本 尊   阿弥陀如来立像 「足の枘に康雲の墨書あり」
○創 立 
当寺は慶長17(1612)年藤谷山淨順法師の草創の念仏道場にして、元禄2(1689)年5月、本願寺寂如上人から木仏の許可及び寺号を賜り、高原寺 と公称した。本堂・庫裏は明治9(1876)年に建て替えを県庁に出願し、同11年に完成した。尚、平成年間になり庫裏が荒廃したので廃去し、高原垣内の 公民館を建設した。

34 降魔山 正覚寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町立石
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺は藤谷山浄久法師の草創にして、文禄4年(1595)年、立石水井下に念仏道場を建てたのに始まる。寛永6(1629)年9月、本願寺准如上人から 木仏許可と寺号を賜り正覚寺と公称した。弘化2(1846)年本堂の再建を計り、寺地を現在の地に移した。水井下の旧地は今なお古道場と称している。山門 は、明治9(1876)12月、吉野山持福院から譲り受けたものである。

35 樹心山 西法寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町上立石
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
本寺は当初、真言宗であったが、文明(1469~1487)年間に、蓮如上人が当地へ巡錫せられた際に、信徒の植茅原民部なる者、教化を蒙り寺檀共に改 宗し、上人染筆の名号を賜り、これを本尊として樹心山惣道場と称した。その後、寛永15(1638 )年9月、本願寺良如上人より尊像及び寺号授与せられ西法寺と公称した。寛文13 (1673)年に良如上人像が下付されている。

36 龍掌山 西照寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町才谷
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
文明年中、西谷の郷士和田衛門次郎正頓なる者下市の里で蓮如上人の教化に遇い、さらに上人を慕って各所で聴聞を重ねた。和田夫妻は念仏信者として、法名 釈慶空、釈尼妙祐と賜り、蓮如上人染筆の名号を本尊として念仏の道場を開いた。西谷(吉野山間部)に手植えされた杉の樹は五百年後の今日も繁り栄えてい る。文明7(1475)年、元天台宗であった渓雲庵を念仏の道場とし、寛永2(1625)年に、これを西照寺と寺号を公称した。寺宝として、西照寺には蓮 如上人の御文章、楠山家には永正年間の文書が残されている。ホームページ『下市町の文化財』参照。また当寺は明治の始めより五香湯という家伝薬としても有 名である。

37 多聞院 修験道系

○住 所  吉野郡下市町才谷
○本 尊   毘沙門天像 「甲冑装で右手に槍を持つ様式、室町時代の像である」
○創 立 
当寺は金峰山の南麓に当たり、吉野勝手神社の奥の院にあたる。 毘沙門天は勝手明神の本地である。今の本堂は棟札によれば、享保17(1732)年仲冬 の建立である。本尊に向かって左方の厨子に不動・蔵王・役行者の三像を安置する。蔵王立像には「寛永6(1629)年富士什物」とあり、向かって右の不動 立像には記銘なく、左方の役行者椅像には「寛永5(1628)年富士汁物〔書き判〕」と記してある

38 龍臥山 法泉寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町広橋
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当寺の創立は「開基仏裏書」に永正7(1510)年4月23日とある。文久3年(1863)9月天誅組の陣営が当寺に敷かれた為。郡山藩の追討による兵 火によって、堂宇悉く焼失。翌元治元(1864)年、郡山藩主の金子五十円の寄付を得て、小堂を再建した。さらに翌々慶応2(1866)年8月、暴風のた め仮堂が倒壊したので、翌年に現在の本堂建設、明治元(1868)年庫裏、同16(1883)年山門・鐘楼を建立した。その他、山内に学問所あり、当時の 住職、稲葉一道和上が、諸国より学生を集めて学林を開いた教場である。昭和34(1959)年、庫裏改築。その後座敷新築。平成になって学問所を新築した。梵鐘元禄2(1689)年2月、泉州池田次郎兵衛金後吾の作、元神野鎮国寺の鐘である。

39 清水山 安楽寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町広橋(清水)
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
足の?に康雲の墨書と焼印あり。背面に(超願寺門徒法泉寺下大和国吉野郡広橋村内清水中村惣道場安楽寺)の銘あり」 
創立 文禄4年(1595)の創立と伝えられ、享保9(1724)年、寺号を安楽寺と公称した。寛政6(1794)年、本堂を再建し、弘化2(1845) 年、梵鐘を造り山門を再建した。明治10(1877)年9月の暴風のため庫裏倒壊、翌年再建した。昭和35年に本堂の大改修を行った。

40 観音堂 修験道系

○住 所  吉野郡下市町広橋(中村)
○本 尊   観世音菩薩
○創 立 
当寺は元清水堂添山(または瞳髑山)の上にあり、般若寺と称した。「寛永(1624~1644)年中、中村宮の下に堂宇を創設し奉祀す云々」と記されて あり現代地に移されたようである。現在の堂宇は大正3(1914)年に再建したものである。本尊の観世音菩薩・同坐の阿弥陀如来立像・薬師如来像・毘沙門 天像の4躯については、ホームページ『下市町の文化財』を参照。お葉付イチョウ(奈良県指定文化財)

41 丹渓山 丹生寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町丹生
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当初は禅寺として創設され、文正年間(1466~1467)に浄土真宗に改宗、文禄4(1595)年、丹生寺を公称する。

42 長渓山 長谷寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町長谷
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
寛永20(1643)年と、宝暦年間(1751~1764)との二回の火災により、古記録を焼失。本堂・鐘楼・山門・庫裏客殿は大正6(1917)年 11月に竣工したものである。親鸞聖人・蓮如上人の各画像を所蔵する。

43 超勝山 法谷寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町谷
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
文禄4(1595)年、当初は禅寺として創設。慶長13(1608)年12月24日、浄土真宗として本願寺准如宗主より木仏を許可される。さらに貞享元 (1684)年7月20日、藤谷山淨久法師を開基として法谷寺を公称する。天保4(1833)年10月4日、堂宇焼失、翌5年8月に再建される。

44 臥薬山 宝林寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町西山
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
もと天台宗であったが、建武元(1334)年、安満左馬尉武明入道なるもの賀名生から乗馬で当地に来たり、当山に入寺し、村民に説き勧めて浄土真宗に改 宗せしめた。時に康永元(1342)年3月5日、自ら宝林寺開基住職了願法師と称した。堂宇は寛政3(1791)年と、文化4(1807)年と二度、焼失 し、現存の本堂は文化4年8月に再建されたものである。

45 桜樹山 善徳寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町貝原
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
当初は禅寺であったが、暦応3(1340)年に安満左馬尉武明入道なるもの貝原村に来て当寺を浄土真宗に勧め入れて道場とした。さらに入道の舎弟、佐衛 門尉清重は貝原村を訪ね来て、兄了願の後を継いで了善と号した。文亀3(1503)年9月10日、真宗興正派本山より善徳寺の公称を許可されている。寛政 3(1791)年、堂宇焼失。現代の建造物は明治6(1873)年のものである。寺宝 大日堂の大日如来坐像(檜材寄木造り)、増長・多聞の二天像(一木 造り)は別に保管。ホームページ『下市町の文化財』を参照。

46 玉尾山 玉泉寺 浄土真宗

○住 所  吉野郡下市町黒木
○本 尊   阿弥陀如来立像
○創 立 
由緒不詳、当初は禅寺にして、文正年間(1466~1467)に浄土真宗に改宗される。本堂は天保6(1835)年に改築、鐘楼は明治16(1883) 年に再建された。梵鐘は元禄12(1699)年の作で元、貝原村櫃ヶ嶽大明神のものであったが、明治初年、当山に移された。

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